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正倉跡について

     古代郡役所の主な機能は、徴税に関わることでした。その中の主要なものである米は、大部分が郡役所の正倉に納められました。正倉とは、主に税である米を収納した倉のことを指します。それらが多数建ち並び、溝や塀などで区画された一画を正倉院をいいます。

     正倉の主なものは高床式倉庫で、遺跡では総柱建物跡として検出されます。これは、重量に耐えるために、床を支える束柱を配したものです。こうした遺構が、平成16年度までの調査で延べ23棟確認されています。未調査地には、その何倍もの倉庫跡が眠っていることでしょう。

(上)第3次調査倉庫群

     倉庫の幾つかは火災により焼失したと考えられ、平成16年度の調査では、倉庫跡の周囲から多量の炭化米が出土しました。正倉火災については、東国を中心として全国的に起こっていたことが文献や発掘成果から明らかになっており、その原因としては、不正支出の隠蔽や権力抗争などが考えられています。

中宿遺跡

(参考)岡部町・中宿遺跡復元倉庫

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