誠之堂・清風亭

 

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深谷市への移築

 誠之堂と清風亭は、ともに東京都世田谷区瀬田にあった、第一銀行の保養・スポーツ施設「清和園」の敷地内に建てられていたものを現在地に移築復元したものです。

 

清和園当時


 清和園当時は、あまり公開されることのなかった建築物でしたが、建築史研究者や建築関係者の間では、いずれも日本近代建築史上、大正時代を代表する建築物として高い評価を受けていました。

 当初は銀行関係者のための集会施設として長い期間利用されていたと考えられています。
 そして、昭和46年、清和園の敷地の過半は、聖マリア学園(セント・メリーズ・インターナショナル・スクール)に売却され、昭和50年代には、誠之堂は外国人教師の校宅、清風亭は集会所として借し出されていました。

深谷市への移築


平成9年、両建物やその敷地は、銀行(当時第一勧業銀行)の所有でしたが、学園の施設拡充計画に伴い、これらの建物も取壊しの危機に瀕することになりました。
 渋沢栄一生誕の地である深谷市は、数少ない栄一にゆかりの貴重な建物が取り壊されることを見過ごすことはできず、譲受けに名乗りをあげ、本市へ移築復元することを決定しました。

 しかし、このような文化財的価値の高い建築物、特に煉瓦構造物の移築は、日本でも初めての試みであったため、本市では移築保存検討委員会を設置し、移築方法等の検討を重ねました。
 その結果、移築場所は、大寄公民館敷地内とし、「大ばらし」を応用した日本初の工法により実施することを決定しました。これは、煉瓦壁をなるべく大きく切断して搬送し、移築先で組み直す工法です。

 そして、平成10年2月から2年間の解体・復元工事を経て、平成11年8月に移築復元が完成しました。

移築復元の方針としては、現状維持を基本とし、後世の改変部分はできる限り創建時の姿に復旧しました。
 また、清和園当時から、2つの異なる様式の建物が並び建っていることが一層それぞれの存在価値を引き立てている、と評価されていましたが、清和園での関係位置とほぼ同様に移築再現することができました。

こうして、2棟の記念碑的な建物は、渋沢栄一生誕の地である深谷市で、地域の中に生きる文化財として、新たな歴史を歩み始めることになりました。


昭和29年の清和園40周年記念碑

移築復元工事の概要
<誠之堂>


切断された誠之堂の煉瓦壁等


基礎に備え付けられた暖炉部


ほぼ組み立てが終わった煉瓦壁


 積み上げた煉瓦を固定するために、コンクリートのがりょうを巡らせました。がりょう上部から煉瓦壁を通じ基礎までPC鋼棒を貫通させ、ボルトで締め付け、煉瓦壁体を固定しました。


据え付けられた漆喰天井


天井彫刻の修復

一枚ずつ葺かれていくスレート瓦

<清風亭>

 

 


切断され運ばれたベランダアーチ


据え付けられたベランダアーチ


煙突の取付け


鉄筋コンクリートの駆体の屋根裏部


移設された天井レリーフ


一枚ずつ葺かれるスペイン瓦

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