埼玉県指定有形文化財

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建造物

■清風亭(せいふうてい)

清風亭は、大正15年(1926)に、当時第一銀行頭取であった佐々木勇之助の古希(70歳)を記念して建てられた。建築資金は、すべて第一銀行行員たちの出資による。
 建築面積168uで、鉄筋コンクリート造平屋建。
 設計者は、銀行建築の第一人者の西村好時。西村自身が「南欧田園趣味」と記述している当時流行していたスペイン風の様式が採られている。
 鉄筋コンクリート造の初期の建築物としても建築史上貴重なものである。

特集ページ「誠之堂・清風亭」

絵画

■北斎筆徐福図(ほくさいひつじょふくず)

 江戸時代の画人葛飾北斎は、信州へ行く途中足を痛め、深谷宿の近江屋(近彦旅館)にしばらく滞留した。この図は、そのとき描いた画と伝えられる。弘化2年(1845)、北斎86歳の作。
 題材は、中国、秦代の方士(ほうし)徐福(じょふく)が、富士山を蓬莱山と見て手を広げて驚いている様子を描いたものと思われる。
 徐福は、不老不死の神薬を求めるべく命じられ、東海の蓬莱山に向かって航海し日本(紀伊熊野浦)にも渡来した、という伝説がある。

書跡・典籍・古文書

■持田家文書

 持田家は、戦国時代に「荒川衆」の首領として鉢形城主北条氏邦に仕えていた。また、江戸時代には代々荒川村の名主も務めていた。それらの関係から天正4年(1576)の北条氏邦印判状や、徳川家康が実施した文禄4年(1595)の荒川村検地帳が残されている。
 この地域における北条氏の支配と徳川氏支配への変遷を明らかにする貴重な史料である。

■長谷部家文書

 長谷部家は、戦国時代に「小前田衆」の一員として鉢形城主北条氏邦に仕えていた。
 氏邦から長谷部家に対して早く軍備を整えて徒士衆から馬上衆になるように求める書状など、氏邦の領国支配がよくわかる史料が残されている。

考古資料

■四十塚古墳出土鉄製短甲及び出土品

 四十塚古墳は、昭和8年農地開墾の際に消失した古墳である。この時の出土品が今に残されている。
 出土品には、横矧板鋲留短甲、五鈴付鏡板付轡、楕円形鏡板付轡、鉄斧、鉄鏃などがある。

 このうち、横矧板鋲留短甲は、県内にある資料のうち唯一全体像が復元されたものである。また、五鈴付鏡板付轡は馬具の一種で、現在確認されているものとしては全国に5例目であり、非常に希少なものと言える。出土品が製作された年代は、5世紀末頃と推定されている。

 

名称

種類

員数

法量

時代

所在地

所有者
(管理者)

概要

指定年月日

1

清風亭
(せいふうてい)

建造物

1棟

 

大正

起会110-1

深谷市

 

H16.3.23

2 北斎筆徐福図
(ほくさいひつじょふくず)
絵画 1幅   江戸 東方 個人
(埼玉県立博物館)

 

S37.3.10
3 木造峻翁令山像
(もくぞうしゅんのうれざんぞう)
彫刻 1体 高59.5cm 室町 国済寺521−1 国済禅寺 檜材・寄木造・玉眼嵌入 S36.3.1
4 刀(伝兼光)
(かたな でんかねみつ)
工芸 1振 長さ68.4cm 鎌倉末 本住町 個人
(埼玉県立博物館)
備前長船派の兼光初期の代表作。「兼光(花押)」「寛永」の金粉銘 S46.3.31

5

持田家文書
(もちだけもんじょ)

書跡・典籍・古文書

26点

 

戦国

荒川

個人
(埼玉県立文書館)

北条氏邦印判状や検地帳など中世末〜近世にかけての史料

S34.3.20

6

長谷部家文書
(はせべけもんじょ)

書跡・典籍・古文書

13点

 

戦国〜江戸

黒田

個人
(埼玉県立文書館)

鉢形城主北条氏邦の発給文書9点と近世初頭の地方文書4点

H8.3.19

四十塚古墳出土鉄製短甲及び出土品

考古資料

1括

 

古墳

榛沢新田

深谷市
(教育委員会)

短甲は県内に残る唯一の資料、五鈴鏡付轡も出土例が少ない。

H15.3.18


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