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■江戸時代〜中山道の宿場町 深谷宿 |
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徳川家康が江戸に入ると、深谷城と東方城に1万石の大名が配置されました。しかし、両城とも江戸時代の初めのうちに廃城となってしまいます。 その後、深谷は城下町としてではなく、宿場町として発展していくことになります。江戸時代に整備された5街道の一つ、中山道(なかせんどう)が通っていました。深谷宿は、江戸の日本橋から数えて10番目に当たり、当時の町並みを描いた絵画からは、その繁栄ぶりが伺えます。 また、中瀬は、利根川水運の河岸場として深谷宿をしのぐにぎわいを見せました。江戸時代の中ごろからは、地場産業の窯業や養蚕などが発展し、宿場には毎月5と10の日に市(六斎市)が立つようになりました。 |
旧深谷宿常夜燈(稲荷町) |
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こうして、深谷宿や中瀬河岸を中心に江戸文化が広がり、七夕や八坂神社の祭礼、村々では万作踊、獅子舞が盛んに行われました。 七夕は、現在では毎年7月に中山道で開催され、大きなにぎわいになります。起源は、深谷宿の遊女の星祭りといわれています。 万作踊りは、農民の芸能で、老若男女が集い楽しむもので、手踊りと芝居があります。起源は定かではありませんが、江戸時代、伊勢参りに行った者が覚えてきたものを祭礼のとき踊ったのが始まりといわれます。 獅子舞は、豊作や、災害厄除けなどを祈願して鎮守に奉納されました。法眼獅子、男獅子、女獅子が一組となって、笛、太鼓、歌などに合わせて舞います。 |
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