深谷市の歴史3

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■古墳時代

〜大規模集落の誕生〜

 古墳時代になるといっそう人口が増えていきます。特に後期(6世紀頃)には、八日市遺跡(原郷)をはじめとして大規模な集落が営まれました。

 集落は、自然堤防上に築かれ、周辺に田畑を開発しました。また、原郷を中心とする台地の縁辺には、小規模な古墳が多数造られました。木の本古墳群などが現在も残されています。

 6世紀中頃には、割山埴輪窯跡(上野台)では埴輪が焼かれ、川などを利用して、木の本古墳群などに運ばれました。


木の本古墳群3号墳


割山埴輪窯跡(第7次調査)

 

■飛鳥時代〜平安時代

〜郡役所による統治〜

 645年、飛鳥でクーデターが起こり、朝廷により中央集権化が推し進められました。税制や行政組織などが改変され、その結果、現在の深谷市の区域は、東側が幡羅郡(はらぐん)の一部、西側が榛沢郡の一部となりました。

 幡羅遺跡(東方)は、7世紀後半から10世紀前半まで存続した幡羅郡の役所跡と考えられています。現在、その調査が進められているところです。

 一方、中宿遺跡(岡)は、榛沢郡の役所跡と考えられています。現在のところ埼玉県内で確認されている郡役所跡は、この2例のみです。

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 幡羅遺跡へようこそ

 
幡羅郡役所、正倉跡と考えられる建物跡(第3次調査)

 

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